春 庭の花だより 
5月らしい爽やかな日々が続いてます。
ブログ更新に間に合わない程、春は草花が日々その表情を変えて見せてくれます。
庭に咲く小さな花たちを撮りました。

「タツナミソウ」
朝日に輝く姿は、本当に綺麗です

不明の花、スズラン、ミヤコワスレ、ツボサンゴ




「ミヤコワスレ」

「姫小菊」

 小さな キッチンガーデン
   フキを採った後に、ミョウガの芽が伸びてました。

「フキ」
   大人の味がする苦味がなんとも好きだ。
      フ~兵衛が美味しく煮てくれた。

「セリ」
   数年前、栃木 那須の野菜販売所でセリを買い
   葉を食べた後、根を植えたら元気よく増えた。 香りが強く、これも大人の味だ。
   茹で、おしたしで頂いたり、朝食のお粥に入れて頂いた。


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# by saitamanikki2008 | 2012-05-14 11:20 | Trackback | Comments(8)
5月初旬 O邸の花々
5月初旬に撮った写真ですが、約1週間おくれてアップします。
さいたま市 盆栽まつり(5/3~5日)の開催中、 
今年もO邸の素晴らしい庭を拝見させて頂くことができました。
今年は、早春が寒かった影響で、あの美しいナニワイバラの開花が遅れてました。
O邸の素晴らしさは、何と云っても邸宅と庭が大変良くマッチして、
敷地の景観を更に魅力的にしていることだ。

「手作りのパーゴラとモッコウバラ」
更に奥に、やはりホワイトにペイントされた 手作りのガーデン・テーブル



庭先のウッドデッキで美味しいコーヒーを頂き、
お話を伺いながら改めて庭を拝見すると、庭の木々、花、敷石など彼方此方に、
ご夫妻の庭にたいする「こだわり」がありました。
庭木 一本一本、庭の手作りの小屋など etc

O邸にいると、その景観から街中にいるような気分でなく、
遠く 北海道か 或いは高原のオシャレな邸宅を訪れたかのような気分になります。




大変 美味しい京都の和菓子 ご馳走さまでした。
そして 楽しい時間を過ごさせて頂き、有り難うございました !!
最後に云わなくては、肌寒くなる夕方まで、お邪魔してスミマセン~。


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# by saitamanikki2008 | 2012-05-12 11:38 | Trackback | Comments(6)
早朝 公園散歩
新緑の5月 この季節 早朝の公園は、大変 清々しい。
木々の若葉は、今 青春のごとく輝いている。
そう カーペンターズの爽やかな歌声が森に流れている感じだ。

公園の池の周りを散歩し、ラジオ体操して家に帰る。 これが朝のお決まりコース。
朝の公園に近づくと、そこは さながら高原のような風が流れている。
特に、この季節 一度 早朝の公園散歩すると、朝の爽快さが堪らなく 癖になります。
今朝は(11日)、良く晴れ渡り 高原リゾートのような爽やかな風でした。

   ・・・・・5月10日 朝の大宮公園で・・・・・

「公園池の朝モヤ」

「花・・・朝露にしっとり」

「静寂」

「水鏡」

散歩から帰り、庭の草花の開花状況を見てから朝食です。
(5月 第一週に撮影)

「山ツツジ」

「シャガ」

「水滴」

「アマドコロ」

「イチゴ」
# by saitamanikki2008 | 2012-05-11 09:44 | Trackback | Comments(4)
3.11 東日本大津波から約1年2ヶ月  何を見て 何を教訓にしなければならないか(4)
前回から続く復興応援「絆」でつなぐ三陸路バスツアー 今回で終了します。
4月29日から出発した復興応援「絆」旅は、東北道を北上するにつれ、
葉桜から散り落ちる桜、満開の桜、5分咲きの桜と、その場所、その地で
色々の桜の表情がありました。
津波の影響を受けなかった山里は、桜、スイセン、一面のタンポポ、行く先々で
本当に綺麗に咲いてましたが、何故か 撮る気分になれませんでした。

今 日本は、地震期に入ったと云われている。
全国 海に囲まれている日本、特に海岸近くに住む人々は、
これから復興に向かう三陸 現地を訪ね、津波被害を直接 貴方の目で見ると、
今 お持ちの考えが必ず変わると思います。
これからの人生 訪ねて見る価値があると思います。

「北山崎」・・・・リアス式海岸の絶景

「島越駅近くの水門」
三陸鉄道の客車が水門に取り付けられている

「島越駅 跡地」
ここの駅は、太平洋が望め、お洒落な南欧風の独特な駅舎として有名だったそうです。
3.11 地震の大津波で線路・駅舎が流失、今は、駅跡地だけ残っている。
この駅の愛称は、カルボナード・島越駅
宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の舞台の一つ、カルボナード火山島に由来して
いるそうです。

現在は津波により更地になってましたが、宮沢賢治の歌碑だけがほぼ無傷で残った

「カルボナード駅の高台に 津波に流されず2軒だけ残った」
幸運にも津波から助かったが、この近くに人の住む住居はなく寂しいだろう。

杉の木が枯れて、津波の高さを推定できる

この春 手旗信号で一部区間の運転を再開した三陸鉄道、
小本駅から宮古駅まで5駅間を乗車しました。
車内で現地 女性ボランティアから宮古が津波に襲われた状況を話して頂きました

平成26年 3月 カルボナード駅舎 再建にむけて、少額ですが支援しました。
三陸鉄道 カルボナード駅舎 再建 記念証など頂きました。

「宮古・田老地区の防潮堤」
田老地区は、総延長2433m 強固なX字型の大防潮堤を築き、津波防災の町を宣言
外国からも視察団が来るなど津波防潮堤の巨大さに注目が集まっていた。
海面高さ10メートルの巨大な防潮堤が城壁のように市街を取り囲む壮大なものであったが、3.11の津波で海側の防潮堤は約500メートルにわたって一瞬で倒壊し、市街地に
津波が襲い大きな被害が発生した。
大防潮堤の倍以上の高さの津波であったと云う。

「三陸鉄道 小本駅」
この春、手旗信号で一部区間の運転を再開しました。
三陸鉄道 小本駅から宮古駅まで駅 5区間を乗車しました。

電車を待つ間、駅前で遊んでいた小学生に「津波 大丈夫だった」と聞いたら
「お婆ちゃんが流されました」と答えてくれた。
「津波の前と後で、君に何か変わったことある」と尋ねると、
「家の手伝いをするようになりました」と云った。

車内で現地 女性ボランティア 2名の方々から津波が襲った状況をお聞きしました。

(2泊目は、宮古の高台ホテルでした)
「宮古・浄土ヶ浜」
津波の影響が残り、近くに行けませんでした。

「浄土ヶ浜のウミネコ遊覧船で」

3.11で犠牲になった方々に、山道に咲いていた花を捧げます。

最後に、津波被災地をカメラで撮っても良いものだろうか と私なりの戸惑いもありました。
被災地の方にお聞きすると、
『 こうして観光で足を運び 被災地を知ってもらう事が大切なので、
写真を撮ることはかまいませんョ 』。と答えて頂きました。
数年後、津波被災地が立派に復興した姿を見たくて、再び訪ねようと思ってます。




# by saitamanikki2008 | 2012-05-09 17:27 | Trackback | Comments(4)
3.11 東日本大津波から約1年2ヶ月  何を見て 何を教訓にしなければならないか(3)
昨日は、茨城県つくば市などで、記録上 日本最大級の大竜巻が発生し、
住宅など多くの被害が発生しました。
竜巻が通過しガラス窓がほとんど割れた5~6階建の雇用促進マンションにお住まいの方々は、昨年の3.11東関東大地震により被害に遭った方々が住んでおられたとか、
自然災害と云え 何とも遣る瀬無い気持ちだろう。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

さて、前回から続く復興応援「絆」でつなぐ三陸路バスツアー 
2日目後半は、あの甚大な被害を受けた大槌町です。
大槌町では、現地に住む女性ボランティアから津波を受けた状況を説明して頂きました。
大槌町は、津波に襲われた後、2日3晩 町全体が重油、プロパンなどにより
火災が発生、町全体が焦土化しました。
津波から約1年2ヶ月、今も現地に立って見渡すと、海岸から遠く 山の裾野まで
見渡す限り 一面 何もない。
一本の樹木さえなく、津波が襲った時の事を思うと バスから降りる足が震えた。
かろうじて 町役場など津波で壊れたコンクリートの建物が3~4棟 無残な姿で
残っていた。
かっては、商店街、学校、住宅などがあったであろう場所が建物のコンクリート土台だけになっていた。

「町役場付近から海岸水門方向」

「町役場付近から南方向」

「町庁舎と西方向」

「町庁舎付近から南東方向」
少し右方向に目を向けると、小高い台地へと繋がるが道がある。
そう 津波の来襲時 テレビ映像で何回も放映されたあの場所があった。
台地に向かう坂道の途中で、津波を背に逃げる人々に高台から
「 早く逃げろ !! 早く逃げろ !! 」
と必死に呼び叫ぶ人々。
テレビでは、高台から見ると平地を歩いて逃げているように見えたが、
実際は、台地へと続く急な傾斜地であった。
津波から逃げて来た高齢者は、傾斜地で疲れ走れなかったのだ。

「大槌町庁舎 玄関」
時計の針は、津波が襲うった時間だろうか 

「大槌町庁舎横側」

「町関連施設ビル」

「無残な姿の消防車」

「一本の花」
菜の花が、1年の経過と遅い春の到来を告げていた

「焼け焦げた神社の灯篭と一部焼けた鳥居」
少し、高台にあるので津波・火災を避けられた

「住宅跡にコンコンと湧き出る地下水」
震災前 大槌町は、地下水が湧き出る場所が何ヶ所もあったそうだ。
亡くなった家族に捧げた花束が水辺にある。

「悲しい記憶」
住んでいた家の目印もなく、木々もなく、電柱もない。
玄関コンクリートに書かれた 家族の悲しい願いが.....。

「道路脇の小さな御堂」
津波後 被災地に建てられた 否、復興を願って置かれた建物は、この御堂だけだろう。
大槌町は、町長も津波で亡くなり、
この御堂の近くにテントの簡易食堂と箱のようなプレハブ小屋だけでした。

「石碑の文字」
大槌町庁舎近くの公園にあった云う 傷ついた石碑
   昭和8年3月3日
     1 地震があったら津波に用心せよ
     1 津波が来たら。。。。
     1 危険地帯に住居をするな

大槌町では、現地に住む若いボランティアの女性2名が、津波の襲った状況を
話してくれた。
今でも、変わり果て、何も無くなった町の風景を直視出来ないと云う。
そして、悲しい心境を胸に閉じ込めるように 目に涙を浮かべ話してくれた。
津波の事、大槌町のこと.....。
私達バスツァーの乗客も 誰もが涙を堪え泣いていた。

ボランティアの女性は、説明を終えて 別れ際に、
『 どうか 皆さん 泣かないで下さい。  私達は頑張ります 』
『 そして 何時の日か 又 大槌町を訪ねて来て下さい 』
バスの出発で席に着いても、大槌町の原風景を見渡し 涙がとめどもなく流れた。
   ※ 大槌町 死者数 802人、行方不明者 505人、 合計1,307人 
                         平成23年11月30日現在


# by saitamanikki2008 | 2012-05-08 11:17 | Trackback | Comments(8)
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