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鹿児島港から飛鳥 Ⅱ に乗り、奄美大島、種子島~横浜港 (1)





旅行会社 JTBがチャーターしたクルージング船「飛鳥 Ⅱ」に途中の鹿児島港から乗船する為に
乗船前日 に羽田空港からJALに搭乗、鹿児島観光を1日半してから夕刻に鹿児島港から「飛鳥 Ⅱ」に乗船した。
鹿児島 奄美群島の奄美大島・種子島を訪れ、一日 クルージングして、横浜港で下船 4泊5日の船旅でした。

JTBが企画した「飛鳥 Ⅱ」碧彩(あおいろ)季航 秋 2019は、
10月24日 横浜港出航して、新宮~瀬戸内海クルージング~上五島訪問~鹿児島~奄美大島(名瀬港)~種子島~終日航海 11月 1日 横浜港接岸して終了です。
途中、台風による高波の影響で新宮に接岸する予定が神戸港接岸になったようである。

「碧彩(あおいろ)季航 秋」と題しているように秋のクルージングは、
数々のメインショーの他に、クルースタッフ・JTBスタッフによる歌・踊り、ハロウィーン仮装、各種ゲーム大会、
船上ビール祭りは、「碧彩(あおいろ) オクトーバー・フェスティバル」と題して、プール脇のデッキにおいて、
本場 ドイツビール 飲み、食べ放題も....あった。

カメラを趣味にしているので、数多くの写真を撮りました。
クルージングに同乗しているような気持ちで、観光&クルージング写真を見て下さい。


羽田空港 早朝便に搭乗

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鹿児島観光 一日目 (10月 27日)
鹿児島空港に着くと、綺麗な秋の空が。。。

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鹿児島中央駅からバスに乗り、知覧特攻平和会館に行った。
この場所は、一度は訪れたい場所でした。
広場には特別攻撃機 零式戦闘機(零戦)がある。

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・・・特攻隊員の像・・・
戦時中 知覧基地から特攻機に乗り、鹿児島 開聞岳を仰ぎながら飛行、
その後、米艦めがけて散った若者たち 

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これは、特攻隊員が寝泊まりしていた小屋を復元
上空のアメリカ偵察機から発見されないように林の中に作られ、
平屋建て半地下の小屋は屋根を低くして造られた。

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知覧特攻平和会館は、戦時中にあった知覧飛行基地の一角に建てられている。
特攻隊の出撃拠点が知覧飛行基地であったので、特攻隊員の写真、遺文、遺書、遺筆、絶筆が数多く展示してある。

「必中必沈」と書かれた遺筆・遺文などを拝見すると、大変 達筆であった。
又、自らの運命を悟って書かれた内容は、飾り気がなく素直に読む者の心に届いてくる。
「必中必沈」それらの内容を読んでいると、一文 一文が泣けて、一日中 ここに留まって読んでいたい気持ちになった。
第一次 特攻隊から第九次 特攻隊まで、20歳前後の若者 1036名が沖縄戦の特攻攻撃で戦死した。


・・・知覧 富屋食堂・・・
知覧飛行基地の近くにあった富屋食堂は、「特攻の母」と呼ばれた鳥浜トメさんが、戦時中に食堂を営んでいた。
多くの特攻隊員の面倒を見たことから“特攻の母”と呼ばれ、
明日の命さえ分からない特攻隊員にとっては、トメさんは「知覧の母親」のような存在であった。

6月 6日、富屋食堂に来た特攻隊員 軍曹 宮川三郎は、トメさんに言った。
「俺はホタルになって、おばちゃんに会いに来るから、宮川が来たかと追い払わないでくれよ」と.....。
トメの家族は、目に涙を溜め宮川 軍曹を送り出した。
そして、その夜 一匹のホタルが富屋食堂に舞い込んで来た。
ホタルを見たトメは、「このホタルは、宮川三郎 軍曹だよ。同期の桜を歌って迎えて下さい」と叫んだ。
その場にいた特攻出撃を待つ特攻隊員とトメさんは、泣きながら「同期の桜」を歌ったのだった。

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富屋食堂の隣にある「富屋旅館」
玄関の看板には、「電話 二十番」と記載があった。その短い電話番号から推測しても歴史ある旅館だ。

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知覧 富屋食堂の裏手にある麓川(ふもとがわ)
昔は、ホタルが生息していたのだろう。

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この川を渡って、知覧武家屋敷通りに入ろうとすると、
今まで一度も見たこともない綺麗な 蛾(が) ?  が、目の前に飛んできて石塀にとまった。
黄色い模様と青色に輝く胴体が大変綺麗だった。
「特攻の母」と呼ばれ富屋食堂を営んでいた鳥浜トメさんの「蝶の話」を聞いたばかりなので、
この綺麗な蛾は、心優しい鳥浜トメさんの化身に思えた。
後日、この蛾を調べるとサツマニシキらしいが、サツマニシキの特徴である翅に白い模様がない。
サツマニシキは、蛾の中で最美麗種の一つであると説明してあった。

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・・・知覧武家屋敷通り・・・

武家屋敷群は、佐多氏十八代 島津久峯(1651~1719年)の時代に造られた。
石垣で屋敷が区切られており、植木が綺麗に剪定されていた。
琉球の石塀を模して造られたとか。

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屋敷入口は、屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)がある。
江戸時代 知覧の港は琉球貿易の拠点であったことから、
武家屋敷も琉球の影響を多く受けていたようだ。

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玄関先から見た屏風岩
防衛を兼ねて造られている

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・・・佐多直忠 庭園・・・

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佐多直忠 庭園
この屋敷を訪れていた時、このお屋敷に住む婦人が縁側にいた。
そして、色々と説明してくれた。
1741~1744年の作庭で借景の母ヶ岳を望む庭の一角に石で組まれた築山を設け、
その中心部は、立石と枯滝の石組が絶妙な趣を醸し出している。
水墨画を表した庭となっている。

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知覧からバスで鹿児島市内に戻って来た。
遥々 (はるばる) 鹿児島に来たのだから、夕食は鹿児島 黒豚トンカツを食べたい。
大変柔らかく美味しかった。

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次回は、鹿児島市内観光から、10月28日 鹿児島 マリンポートから
クルージング船「飛鳥 Ⅱ」乗船まで掲載します。

by saitamanikki2008 | 2019-11-04 11:11 | Comments(3)
Commented by apronbaba at 2019-11-04 15:09
こんにちは。
きょう、横浜のハンマーヘッドを見学に横浜港を
散策していました。
大さん橋には飛鳥Ⅱが停まっていましたがひょっとして
こちらに乗船されていたのでしょうか・・・
いつも素敵な旅行をされて、記事も楽しく拝読しています。
今回の特攻隊の方のお話は、胸がいっぱいになりました。
次回記事も楽しみです。
Commented by takeshi_kanazaw at 2019-11-04 17:01
なかなかの行動派ですね・・・。
鹿児島は遠い、一度しか行っていない。
貴兄の写真でもう一度という気分になりましたが。

続編も楽しみにしています。
Commented by nenemu8921 at 2019-11-04 19:32
わあ、ゴージャスですね。
すてきな蛾に出会ったのね! 出かけないと出会えませんね!
奄美では田中一村の美術館には立ち寄るのかな?
好きな画家なんです。
一度行きたいと思っていましたが、奄美って、すごく不便なのですよね(^_-)-☆
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